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横浜フリューゲルスのJリーグ元年(1993年)~インパクトが足りなかった横浜フリューゲルス

公開日: : 最終更新日:2017/03/08 未分類

横浜フリューゲルスのJリーグ元年(1993年)の見どころをまとめてみました。今は横浜マリノスに組み込まれる形となった横浜フリューゲルスがどのようなスタートを切ったか振り返ってみましょう!

フリューゲルス

■1993年の横浜フリューゲルスと言えば

Jリーグ元年である1993年、横浜フリューゲルスはサントリーシリーズ7位、ニコスシリーズ7位と恐らく横浜フリューゲルスファン以外からは何の印象も持たれないような成績でシーズンを終わらせることになりました(強かったらもちろん弱すぎても印象に残るのですが、一番パッとしない形でシーズンを終えた)。

さらに観客動員も思わしくなく、サントリーシリーズの3節に浦和と対戦した試合で観客動員数7469人と言う最小観客動員数と言う不名誉な記録まで作ってしまいました。

同じ横浜にマリノスがあったため、他のチームと比べて観客動員数の面で不利ということを加味しても、中々うまくいかなかったというのが現状だったことでしょう。

しかし、リーグとは別に1993年の天皇杯(決勝だけは1994年1月1日に行われましたが)では快進撃を見せました。

準々決勝ではJリーグの王者のヴェルディを2ー1で下し、準決勝では横浜マリノスを下したサンフレッチェ広島に勝利。決勝戦ではサントリーシリーズの覇者である鹿島アントラーズに勝ち優勝しました。

中でも決勝戦の鹿島アントラーズ戦は集中力が凄く、2ー2で前後半終了。延長戦に入ると4点を立て続けに取りました。

Jリーグを見なれたサッカーファンはVゴールじゃない面白さと怖さを同時に味わったのでは無いでしょうか。

■残念ながらスポンサーが離れた

1993年の観客動員数から見て何となくわかるように、クラブ運営はうまくいったものではありませんでした。

1998年には運営するのが難しく、ついにはチームの解散(実際にはマリノスに吸収合併される形)が余儀なくされました。当時選手たちがメインスポンサーである全日空のロゴを隠して試合前の写真撮影した事を今でも覚えています。

1993年にJリーグが開幕する頃には自分が子供だったということもありますが、チームが消滅するなんて考えもしなかったことですが、大人目線で見るとプロなのだから利益を出さなければいけないと言う厳しい目も持つことができるようになりました。

とにかく横浜フリューゲルスの事実上の撤退はサッカー関係者、選手達にとって気を引き締めさせる重大な出来事でした。高いパフォーマンスをしなければ自分がクビになるだけでなくチームの存続がなくなると言う意識を持ってプレイしてもらいたいものですね。

■THE ALFEE提供の応援歌は一番良かった

横浜フリューゲルスファンがこの記事を見たら怒るかもしれませんが、私の目から見てパッとしないチームでした。

GKの森、外国人選手のモネールなんかは印象に残っていますが、めちゃくちゃ活躍したというわけではないためメディアもそこまで追いかけませんでした。

そんな中唯一と言ってもいい希望の光が応援歌ではないでしょうか。

1993年にJリーグが開幕されるにあたって各クラブチームは応援歌をCDで出していました。もちろん全てのチームの応援歌を覚えているわけではありませんが、横浜フリューゲルスの応援歌はTHE ALFEEが提供していて1チームだけずば抜けてかっこいい曲だったのを覚えています。

当時のサッカー人気に便乗していろいろタイアップしたらもっと成功できたのにと勿体無い気でいっぱいです。

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  • Soccor-ken
    ライター。無類のサッカー好き。海外サッカー、Jリーグ問わずウォッチしています。
    高校時代のポジションはGK。
    伝説の開幕戦、鹿島アントラーズVS名古屋グランパスエイトの試合、ジーコ対リネカーの試合を見ることができたことは、今でも私の人生の自慢話の一つです。

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